2017.12.24

『 ひとりのみどりごの誕生 』 (イザヤ9:1〜6)
 救い主のお誕生をお祝いいたします!!!
“ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた(9:5a)。”    
 イザヤは、「ひとりのみどりご」が私たちのために生まれたと語ります。そして、「ひとりのみどりご」が、私たちに与えられた神からのプレゼントであることを記します。・・・皆さん、ひとりの男の子が生まれ、私たちのために与えられるということで、思い浮かべる聖句がありますよね?ヨハネ3章16節です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
 まさに、イザヤが語っている「ひとりのみどりご」こそ、神のひとり子イエス・キリストを表すもので、その独り子には神としての性質が強調されているわけです。
 そしてイザヤは、そのみどりごがもたらす新しい世界の秩序と、その働きを次のように語ります。“権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる(9:5b)。”
 当時、アッシリアという世界の支配者が弱い国々を侵略し、人々を殺し、捕虜として連れ去るということが当然のごとく行われていました。まさに弱肉強食というこの世の法則が、真理のように思われていた時、イスラエルの民らはアッシリアよりも強く強力な救い主の誕生を夢見ていたことでしょう。なのに、預言者イザヤが告げる神からのメッセージは、“ひとりのみどりご、ひとりの男の子の誕生”であったのです。そして、イザヤが告げている“みどりご”こそ、メシア(救い主)イエス・キリストの誕生としての、クリスマスの預言だったのです。
赤ちゃんは弱い存在です。誰かに守ってもらわなければ生きることのできない無力な存在です。しかしどうでしょうか。こんなにも無力に見える弱い赤ちゃんではありますが、実のところ最も強力な力を持っている存在が赤ちゃんではないでしょうか。赤ちゃんは、近づく人々に優しい心と笑顔をプレゼントし、周りの人々を支配するほどの力を発揮します。また赤ちゃんは大人の心に潜んでいる愛を掘り出してくれますし、激しく怒っていた大人が、赤ちゃんの前では自然と穏やかになり、柔和な人に変わっていきます。そして、共同体の働きが赤ちゃん優先に動いていくのです。
 不思議です。このような赤ちゃんの力を「弱さの力」と言えるでしょう。「弱さと力」という矛盾している二つが、一つとなる時こそクリスマスなのです。
“今、弱い者よさけべ、勇士だと!勝利の主が共におられるから。今、貧しい者よ叫べ、富んでいると!恵みの主が共におられるから”・・・「大いなる方に」という歌の一部分です。
クリスマスの赤ちゃんとして生まれたイエス・キリストは、弱さをもっている人々を抱きしめるためにこの地に来られました。また、弱い人の痛みと苦しみをご自分の体で引き受けるために、赤ちゃんとして来られたのです。ハレルヤ!