2018.1.7

『あなたの魂を幼子のように』詩編131:1〜3) “主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大きすぎることをわたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。(詩編131:1〜2)”
 新年明けましておめでとうございます!!!
 2017年の一年の歩みを神の御手による恵みのうちに終えることができ、また新しい2018年を始める恵みを心から賛美いたします。この一年、どのようなことが神の家族を訪ねてくるでしょうか。アルファであり、オメガである神、初めであり終わりである、時間の創造者である神の恵みと導きを期待しつつ、私たちの一年の歩みをゆだねたいものです。“神のなさることはすべて時に適って美しい!”と歌っていた聖書の御言葉通り、愛する神の家族お一人お一人の歩みが守られ、時に適って成し遂げられますように・・・。
 本日の詩編131編は、ディアスポラーのユダヤ人、つまり、国を離れ、世界の各地に散らされて住んでいたイスラエルの民が毎年エルサレムを訪ね、神殿礼拝をささげるために上る時、歌われていた歌です。
 とりわけ詩篇131編は、ダビデ王の詩です。しかし、今日の詩を見ると、王としてのダビデの姿ではなく、神様の前の一人としてのダビデが祈りと賛美をささげている内容です。イスラエルという国の王でありながら、あくまでも純粋な一人個人の信仰者としての告白と、神様との交わりの中で得る平安と慰め、外部の騒ぎや環境に振り回されない信仰者ダビデの姿がうかがえる詩であると言えましょう。
 ダビデは、神の前に3つの誓いを立てています。まず、“自分の心は驕らない!”ということ、そして、“自分の目は高くを見ない。”ということ、最後に、“自分は大き過ぎること、自分の及ばぬ驚くべきことを、追い求めない!”ということを、神の前で誓っているのです。
人々は、新年早々、今年こそは素晴らしいことを起こしたい、もう少し高くを目指し、普通の人ができないことを成し遂げたい。それで、人々に認められ褒められたいという願いをもって一年をはじめます。しかし、ダビデは驕り高ぶること、人々に認められる偉大な働き,.より、神様の前で静まって、その方の胸に抱かれることを選ぶと宣言します。
 新しい年の歩みを始めようとするこの時、神の家族の皆さんと共にもう一度確かめたい二つの文章があります。まず、日々の出来事を前にして、「イエス様だったらどうされるだろうか」(What would Jesus do?)という問いと、「教会は人によって成ったものではなく、神によって成ったものを信じる」という教会の約束の一文章を心にしっかりと刻んでいただきたいのです。いつも自分の思いと判断が先を走ってしまい、失敗しがちな私たちですが、常にイエス様の御心を求めることができれば、私たちを通して神の栄光が現れることでしょう。ハレルヤ!