2018.1.7

 〜 十字架の言葉の愚かさに生きる 〜
“十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。(Ⅰコリントの信徒への手紙1:18)”
 2018年の1月のリビングライフの聖書箇所がⅠコリントの信徒への手紙です。今まではほとんど福音書が1月の定番となっていましたが、今年はコリントの信徒への手紙から始まっていることを嬉しく思っています。
 近年小泉町教会では、時の流れと共に劣化し故障が目立ってきた設備を共同体全体で検討し、花壇の整備、外壁・外掲示板・外聖句板・エアコン・給湯器などの補修や交換に取り組んできました。その結果、礼拝堂や周辺が綺麗に整えられてきたことを感謝しています。
 そこで、神は新しい歩みを始める神の家族の群れに、 “十字架の言葉に歩みなさい!”と命じておられる。神の家族一人一人が、十字架の言葉、すなわち神の独り子を十字架につけられ死なせられた愛と贖い、赦しに触れ、内なる人が常に感動を覚えながら生きられますように・・・。十字架の言葉はこの世の知恵や知識、研究によって知ることではなく、一人一人がイエス・キリストの十字架の出来事に心打たれ、キリストの十字架に自分自身が釘付けにされ救われたことを信じ、感謝感激して生きるこの一年となりますように・・・。
 この十字架の言葉の恵みに生きる人を通して、神はキリストの力と知恵を表されることでしょう。私は今年の小泉町教会の神の家族一人一人が、「祝福の源」となる存在としてのアイデンティティーをもって生きることを祈っています。アブラハムのように、神の家族が行く先々で、家庭、学校、仕事場、社会の人間関係などすべての場において、「祝福の源」として、十字架の恵みと祝福の泉を周りへと流し続けられることを・・・。シャローム