2018.1.21

『 心を開かれる主 』  (使徒言行録16:11〜15)
 私たちが本日の聖書を理解するためには、直前の聖書箇所を理解する必要があるでしょう。実は、パウロのフィリピの町における宣教活動はパウロの計画ではなく、神の御心の熱意が現れた出来事でありました。
 パウロは、もともとアジア州に行って伝道しようとしたのですが、なんと「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」ため、彼はトロアスという港町で神の御心による導きを切に求めていました。そこで神は、彼に一人のマケドニア人の幻を見せてくださり、神のご計画がパウロの計画と違ってヨーロッパの方に進むことであったことを示されました。パウロは、早速船に乗り、マケドニアのフィリピという町にたどり着くことになります。
 ちょうど安息日を迎えることで、パウロは祈りの場所を求めて川岸に行きました。ユダヤ人が旅をする時に、最も優先されるべきことは、祈りの場所を確保することでした。そこでパウロ一行もその祈り場を捜して川岸に行ったところ、婦人たちの群れに出会うことになります。そこでパウロは、腰をおろし、集まっていた婦人たちに話を始めたのです。
 素晴らしいことは、その婦人たちの中に「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人がいたことでした。当時「紫布」は、王族や貴族らが好んでいた大変高価なものでした。おそらく彼女は積極的な女性であったでしょう。しかもリディアは異邦人でありながら、ユダヤ教徒として「神をあがめる」敬虔な人であったと聖書は紹介しています。彼女は異邦人でありましたが、聖書の神こそ唯一の神であることを信じ、安息日には毎週川岸に来て礼拝をささげるほどの熱心な信仰をもっていました。紫布商売の忙しい生活の中にあっても、彼女の生活は神を礼拝することを生活の中心においていたことでしょう。そんな彼女の前に神はパウロとの運命的な出会いをプレゼントしてくださったのです。また、リディアこそ、神がヨーロッパ伝道のためにパウロに備えられた初穂の祝福でした。
 パウロは婦人たちの群れの中に腰をおろし、そこに集まった婦人たちに福音の言葉を伝え始めました。その時、敬虔なユダヤ教徒であったリディアは、今まで聞いたことのない福音のメッセージ、イエス・キリストによる神の救いの働きについて聞くことになります。真心から聖書の神を愛していたリディアは目を光らせながら、パウロの言葉に耳を傾けます。そこで、聖書はここで特別な言葉を用いて、リディアと神との関係を説明しています。“主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。(14節)”・・・この表現はルカがよく用いるもので、主が心を開いてくださらなければ神の言葉を悟ることも、御心を知ることも、救いを得ることもできないということでしょう。リディアの心を主が開かれることで家族の救いが与えられ、彼女の献身を通してフィリピ教会が誕生することになるのです。
 神の家族の皆さん、神をもっと知りたいでしょうか。神の言葉の恵みにもっと浸されたいでしょうか。心を開かれる主に近づき、自らをゆだねましょう。主はあなたを素晴らしい祝福の源として用いてくださるでしょう。ハレルヤ!