2018.4.1

〜主の恵みを数える〜(後篇)
 今の日本の社会で単身赴任制度が当たり前のように、まかり通っていることは、私は、日本経済の歪み(ひずみ)だとさえ思っています。家族は、特に子供が小さいうちは、離れて暮らしてはなりません。福岡に単身赴任して2年を過ぎ、次は、大阪に転勤命令が出ました。部署は、私が長年経験してきた営業職ではなく、現場作業の肉体労働であります。その現場とは、会社の重要顧客であるコンビナートが中心で、この3か月で既に倉敷を2回、岡山、鹿島、新潟、四日市と出張続きの多忙な日々を送っています。また、出張は通常、一週間のスパンであるため、日曜日出発であったり、土曜日戻りであったりするため、教会の主日礼拝の出席がままならなかったり、福岡に滞在中は、必ず月に一回帰省が許されていた環境も今後は難しくなると考えられます。
 このような環境下で私は、自分の人生を呪いたくなることがあります。しかし、だからこそ私は、 この3年間祈り続けることができたのだと思っております。デボーションを毎朝続けてこられたのです。ガイドブック、リビングライフにも日々励まされて生きる力を与えられます。今月号の目に留まった箇所を引用したいと思います。
 3月7日、P59 分かち合い 「主を信じるクリスチャンのまことの信仰は、患難の時にこそ明らかになります。」
 3月10日、P71 分かち合い 「寂しいと感じるなら、その理由は、人々から愛されていないからではなく、自分が愛すべき対象をまだ愛していないからかもしれない。」
 明日からまた、寒い海風にさらされたコンビナートの仕事が待っています。今年 55歳になる私の信仰年齢は、幼児に過ぎません。
 最後に冒頭に出てきた長女が先日、無事卒業式を終え、春から中学生になります。こんな大きな恵みを神様から頂いているのに私は、何を嘆いているのでしょうか? 
               T.K兄