2018.4.29

 今年度執事をさせて頂くことになりました。私のような者には光栄であり又恐れ多いことです。とくに選挙の際、白石姉との決戦投票の上でということで益々もったいない感じです。当初高校野球にみられるエース投手を温存し一年生に経験を積ませるようなイメージを持ちました。しかし今改めて私を立てて下さった神様の御心を思います。執事の役目は牧師をお支えする事ですから、それを忠実に務めるようにとのことは当然ですが、私個人の成長を強く求めておられると感じます。この度任期三年を終え辞退されたI兄が御言葉の学びに大変熱心であったと聞いています。その姿勢は是非とも見習いたいと思っております。更に謙遜を身に付けるようにと求められているように思います。閔先生から執事というのは決して偉い地位では無く、しもべのように皆に仕える役職であるとお聞きしました。主イエスが「人の子が来たのも仕えられるためではなく、かえって仕えるため(マルコ10:45)」と言われました。仕えるという訓練の時を与えられ感謝しております。私に謙遜を忘れた言動がありました際には遠慮なく主の愛をもって叱責をお願い致します。
 4月22日に執事として初めて礼拝の司会をさせて頂きました。礼拝後「落ち着いていて良かった」と声を掛けて頂きました。全ては聖霊様がなさったことであり、「聖霊様が導かれるままに」という閔先生やS姉、S兄の助言に心から感謝しております。一年間「聖霊様に導かれるままに」という思いをもち私自身は頑張らないで務めて参りますので宜しくお願い致します。
 主の栄光がとこしえまでありますように。アーメン
                   S.Y兄