2018.6.24

『 証人たちの応援 』ヘブライ人への手紙12:1〜3)
 伝道開拓から58年、富山伝道所から今日の富山小泉町キリスト教会になるまでの歩みのうちに、神は時に適って働き人を与えられ、御業を成し遂げてくださいました。その神の御手の業は私たちを通して今もなお続けられていることを讃美いたします。
 先週の6月18日、教会の出発時から58年間の歴史を共にして来られたN兄が召天されました。23歳の若さで教会開拓に加わっていた青年、また教籍番号1番という象徴的存在としてわが教会を支えていたN兄は、81歳という神よりいただいた人生を全うされ、今は天の御国で先に召された証人たちの群れに加わりました。恐らく今は他の証人たちと共に、地上に遺された私たちのために応援の拍手を送ってくださることでしょう。   
 私はN兄の葬儀を終え、主日礼拝の宣教を準備する中で、ヘブライ12:1〜3の箇所を思い浮かべました。ヘブライ人への手紙を書いた記者は、今を生きながら福音伝道のためにこの世の苦難に遭っている私たちに向けて、目には見えないが、「おびただしい証人」が応援のエールを送っていることを告げています。ここでの証人とは、キリストの十字架と復活の証人として信仰を告白し、自分が得た福音を宣べ伝え、天に召され、今は天の御国にいる信仰の先輩たちのことを指します。本日の御言葉は、天にあるこれらの証人たちが、今福音の証人として信仰の競走を続けている私たちを見守りながら、応援の拍手を送ってくれていると記しているのです。
そうです。私たちはまさにおびただしい群衆で埋め尽くされている競技場でひたすら走る競技者のようなものです。そのおびただしい群衆の中には、先日召されたN兄をはじめ、小泉町教会の歴史を刻んできた証人たちが天国の勝利の栄冠をかぶって私たちの走りに拍手を送っているのです。
 もちろん私たちの走りの中で、つまずき倒れてしまう時もありますし、ところどころ厳しい障害物に引っかかる時もあるでしょう。しかし、私たちの前には主イエス・キリストが模範となられ、キリスト御自ら私たちと共に走る同伴者となってくださるという約束がなされていることはいかに幸いなことでしょうか。
クリスチャンは天国を見上げつつ、今を生きる存在です。今神の家族を押しつぶそうとする重荷や罪があるでしょうか。また、皆さんを悲しませている苦難、迫害がありますか。そこで気力を失い疲れ果ててはいませんか。ぜひ、覚えてください。神の家族お一人お一人のために、天の栄光と喜びを捨て、恥をもいとわないで苦しみを受け、十字架の死をも耐え忍び、今は天の御国で私たちのために執り成し、聖霊を通して共に歩んでおられるイエス・キリストを。その主イエスを見つめながら、お一人お一人に定められている競走を忍耐強く走り抜くことです。主イエス様が栄光の冠を備えて待っておられることを信じ、互いに励まし合いつつ主に喜ばれる共同体を作り上げていきましょう。