2018.6.24

〜 神学校週間を迎えて 〜
 教会の歴史は証人たちの歴史です。初代教会のペトロを始めとする12弟子と7人の執事たち、そして各時代、世界各地域における証人たちの献身によって教会は成長を続けることができました。
「証人」(ギ:マルトゥスμαρτυς)は「殉教者」という意味から出た言葉です。すなわち、キリストの証人は命をかけてキリストの福音を宣べ伝える覚悟をもって生きる存在と言えましょう。先週のリビングライフでは「ステファノ」の物語が主な内容でした。ステファノ(「冠」の意味)は教会の歴史における「最初の殉教者」です。彼はまさに殉教の死を覚悟しての福音宣教に臨みます。そして聖書はステファノの殉教から、エルサレムから世界へと福音が広がっていったことを記しています。
 日本の地においても多くの殉教者の血が流された歴史があります。しかし殉教者の犠牲によって福音が広がるどころか、むしろ隠れてしまうことになりました。そしてなかなか隠れたところから公に福音を告げ知らせる教会や働き人が見えない現状です。どうすればいいだろうか・・・。しかし私は信じます。一人も滅びることを望まない神は、日本の歴史の中の殉教者たちの犠牲を無駄に、そのままにして置かれる神でないことを。
神学校週間を迎え、西南学院大学、東京バプテスト神学校、九州バプテスト神学校で学んでいる神学生たちと教えている先生方が、今一度キリストの証人となることを確かめつつ、福音を携え世界のどこへでも快く遣わされ、救われる人を起こすことができますように…、また、わが群れから献身者が起こされることも期待し執り成し祈りましょう。
“死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。(ヨハネ黙示録2:10)”