2018.7.22

『路傍伝道への誘い』 (マタイによる福音書 28:19-20)     
 毎月第4週の午後に路傍伝道が予定されています。本日は「皆で路傍伝道に行こう」と言う話です。その前に幾つかのことを確認したいと思います。
 聖書は神の霊感を受けて書かれた偽りなき書である(2テモテ3:16)。主イエスは神であり全てのものを創られた。(ヨハネ1:1〜3)。神は愛である(1ヨハネ4:16)。神の約束は必ず成就される(2コリント1:19〜20)。伝道は主イエスご自身からの命令です「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいた全てのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。私は、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます(マタイ28:19〜20)。伝道には様々な恵みの要素が散りばめられています。伝道は受けた者にとっては永遠の命を得、伝えた者には訓練と祝福となり神様の喜びとなります。特に路傍伝道は人から誉められることが少なく神様からの褒賞が大きいと考えられます(マタイ6:1〜3)。
 路傍伝道で出会う多くの方々は神様に愛され救われるべき備えられた人々です。私たちの救いは多くの信仰の先輩達の努力が集まったものです。まるでジグソーパズルのように沢山のピースで構成されています。声をかけた方が直ちに救われなくても彼らにとっての救いの最初或いは何個目かのピースになるかもしれません。またその方が救われた後私達の大切な家族や知人に福音を伝えてくれるかもしれません。「神のなさることは、全て時にかなって美しい(コヘレト3:11)」。多くの恵みと同時に締め切りがあり(「終わりの日」や肉体の死)、その結果滅びに至る者もいるということも痛みと共に厳粛に受け止めなければなりません「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている(ヘブル9:27)。それが何時なのかは誰にもわかりません。人には様々な制約があり全員が路傍に立つことは出来ないかもしれませんが、家族や知人への伝道に励み祈りをもって路傍へ送り出していただければと思います。主の栄光が永久にありますように。
                   S.Y兄