2018.9.16

『 福音がもたらした奇跡 』  (列王記下7:3〜11)          
 聖書の中には予想もしない人物や出来事を通して神の御業が成し遂げられる場面がいくつもあります。本日の聖書の物語はまさにそのうちの一つです。
 本日の聖書箇所には四人の重い皮膚病(ツァラアト)の人たちが登場します。当時の北イスラエル社会において重い皮膚病にかかるということは神に呪われ天罰が下ったということとされました。そのため、彼らはサマリア城の中に入ることが許されず、社会的、宗教的にイスラエル共同体から隔離されてしまっていました。
 丁度その頃に、イスラエルの地に大変な飢饉が襲ってきたのです。それに加え、アラム王国(今で言えばシリア)による侵略を受けることになります。当時のアラムはイスラエルよりはるかに強い軍事力を持っていて、虎視眈々とイスラエルを狙っていた国でした。いよいよアラム軍は北イスラエルの首都サマリア城を包囲することになります。飢饉という自然災害と敵国による侵略とで、危機的状況に追い込まれていた北イスラエルでした。
 このような絶望的状況の中、神は呪われていた四人の重い皮膚病を患っていた者たちを用いられます。神は彼らを遣わして北イスラエル共同体を救いへと導かれることになります。誰にも予想できなかったことが起きたのです。神は、まず、四人の病人たちに“良い知らせ(福音)”を味わわせられ、今まで彼らをいじめ、苦しめていたイスラエル共同体にその“福音の良い知らせ”を伝えさせられるという奇跡を成し遂げられます。
 四人の重い皮膚病の人たちを通して、死と絶望の町であったサマリアが喜びと勝利の讃美に溢れる町に変えられる。これこそ人の思いをはるかに超える神の方法であり、絶望のうちに働かれる希望の神のお姿なのです。
 「わたしたちはこのようなことをしていてはならない。この日は良い知らせの日だ。わたしたちが黙って朝日が昇るまで待っているなら、罰を受けるだろう。さあ行って、王家の人々に知らせよう。」(9節)
 福音を目の当たりにした四人の病人たちの告白です。この告白には、福音を味わった人の抱くべき姿勢が示されています。しかし、今までイスラエル共同体から疎外され蔑まれてきた彼らでした。ですから知らない振りをしても誰からも非難されることはないはずです。しかし一つ確かなことは“福音の良い知らせは独り占めにするものではない”ということです。良い知らせは隣人と分かち合うことに意味があり、そこにこそ福音を授けられた神の御心が現れているのです。神の恵みの良い知らせを体験した人は、その良い知らせを隣人に伝えずにはいられません。
 愛する神の家族の皆さん、日本中が不安と絶望に陥っています。とりわけ災害地にいる人々を襲っている不安と恐怖の重さは計り知れないでしょう。今日、最も惨めで弱い四人の重い皮膚病の人たちを遣わされた神は、私たち小さな群れを隣人の方へ遣わそうとされます。神が、先に福音を授けられた私たちの小さな力、小さな奉仕、小さな一歩を通して、死んでいく人々をよみがえらせ、祝福をもたらす奇跡を起こしてくださいますように・・・。ハレルヤ!