2018.10.21

〜 御言葉を反芻する生活 〜
“いかに幸いなことか…主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編1:1〜3)” 牛、羊、山羊などは、一般に反芻動物と呼ばれています。反芻(はんすう)とは、四つある胃袋を用いて一度飲み込んだ食べ物を再び口の中に戻して咀嚼するという過程を繰り返すことで食物を消化することを意味します。
 私が日本に来て最初にしたアルバイト先が焼肉屋で、メニューの中に「ミノ(第一胃、ハチノス(第二胃)、センマイ(第三胃)」があり、これらが牛の胃袋の順番であることを知りました。その時、聞いた話では第四胃は汚すぎるため食べないということでしたが、後で確認したところ、第四胃も「ギアラ」という名前で売られていることを知りました。これら四つの胃袋は少し匂いはしますが、それぞれ独特な歯ごたえがあってとても美味しいです。
 焼肉の四つ胃の話はここまでにして、キリスト者にとっての反芻する生活を考えてみたいと思います。先週の合同教会学校でも話しましたが、神の御言葉は霊的糧であり、その御言葉を食べる時がディボーション(黙想)の時なのです。しかし聖書は、一度呑み込んだ言葉を、一度きりでそのまま消化し排泄するのでなく、一度呑み込んだ糧を再び取り戻し、御言葉の隠れていた味と栄養を味わうことを求めているのです。それを御言葉の反芻とよぶならば、詩編1編の“昼も夜も口ずさむこと”がまさしく御言葉の反芻を表しているのです。御言葉を反芻する生活こそ、クリスチャンの信仰の成長と霊的祝福に欠かせません。
 “天高く馬肥ゆる秋”です。神の家族も御言葉を反芻する中で、体も、心も、魂も豊かにされますように…。シャローム