2018.11.4

〜 “ありがとう”で終わる 〜
“わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。(Ⅱコリント12:9)”
 先週は神の家族の祈りに支えられ、韓国に行って参りました。10年ほど前から父親が認知症を患っていて、今から2週前には脳梗塞を起こしたという知らせを聞き、大急ぎで親のところに駆けつけたわけです。幸いなことに、父の脳梗塞は軽く済み、苦しみながらも父の足で歩けるのが何よりです。
 父は今年で86歳、過去の記憶はほとんど消え去り、まるで子どものようになっていました。しかし、不思議と私の顔を見てすぐ“丙俊ではないか”と名前を呼んでくれましたね。私の名前と顔が父の頭のどこかにしっかりと刻まれていたのでしょう。しかし名前と顔以外はすべて忘れられていて、息子の年齢も、息子が日本で働いているのも、結婚して孫たちがいるのも、息子との思い出も、まるで消しゴムに綺麗に消されているようでした。
 そんな中、感謝だったのは、父の口から繰り返し出てくる“ありがとう”という言葉のゆえでした。父の顔からは、怒りも、葛藤も、欲望も、将来への心配も見えません。質問をしてもまともな答えが返ってこない、しかし穏やかな表情でひたすら“ありがとう”を言っている。母のうるさい小言に、笑顔で従いながら繰り返し“ありがとう”と答える父の姿。・・・母は“今が私の人生の中で一番幸せなような気がする。すべては父なる神の恵みだ”と言っていました。父の認知症が深まる中、毎日の介護は母にとっては大変でしょうけれども、子どもの純粋さをいただいているその姿と、“ありがとう”と愛と信頼を寄せて言う父の言葉に励まされながら楽しく過ごしている姿が恵みでした。
 神の家族の皆さんも隣の家族に、友人と知人たちに、心からの愛を込めて“ありがとう!”と伝えてみましょう。あなたの信仰からの“ありがとう”の一言が、あなたと周りを明るく照らしてくれるでしょう。シャローム