2018.12.16

〜 心から赦(ゆる)す〜
 罪とか赦しとかを、私たちはよく口にします。しかし、その割にはそれらがよくわかっていないのが私たちの実際でしょう。そして、そういう私たちのためにそれらがよく分かるように導いてくれる機会が誰にでも必ず来ることに、注意をしましょう。
 その機会とは、赦さねばならない人に、立ちはだかられるように出会う時です。それは苦しい時ですが、「赦されて今ある」という人生の究極の事実に気付かせてくれる大切な時なのです。ですからそういう時が来たら、心からでなくてもとにかく赦そうと努力しましょう。
 罪と赦しがもともとよくわかっていない私たちに心から許すことなど無理な話なのです。心からでないからだめだと嘆かずに、心からでなくても、とにかく赦そうと努めましょう。時には怒りに押し流されることもありましょう。仕方ありません。しかし、そのたびに心を取り直して赦そうと努めましょう。  
 大切なことは「心から赦す」ことではなく「心からでなくても赦し続ける」ことなのです。「心から赦す」とは、泉のように赦しが内から湧き上がってくるという意味ではありません。    
 そのようなことは人間のできることではないのです。そうではなくて、たとえ心からでなくても「赦そうと心を取り直し続ける」こと、そしてその葛藤の中で「赦されて今ある」ことに立ち返り続けることです。     
                  〜藤木正三著「この光にふれたら」より〜