2018.12.30

バプテスマの証し①〜
 わたしは何年も苦しんでいました。一人で重荷を背負い、どこに歩んで行けばよいかもわからずに、ただ、その場で、時が流れていくのを待つだけの途方に暮れた何年かを過ごしました。
 苦しい現実とは向き合わず、起こった問題に背を向け、逃げてばかりいました。楽になりたいと、自分の頭でいろいろなことを考えましたが、何を考えても、何を行なっても、解決にはならず、私は疲弊していくばかりでした。
 閔先生は何年間もそんなわたしを教え励まし、「祈っていますよ。」「愛されていますよ。」と、根気よく何度も何度も言って下さり、導いてくださいました。
 そんなわたしは、2017年に看護学校を受験しました。受験日当日、試験が始まる前、わたしは自然に机の下で手を組み、強く強くお祈りしていました。「どうかどうかお護りください。」・・・本当はその時、神の愛にわたしは触れていました。
 無事、看護学校に合格し、看護学生として学ぶ、本当に忙しい毎日が始まりました。看護の学びのなかで、わたしは、神様の事を考える時間が長くなっていきました。
 死期を迎える終末期の患者さんと関わるなかで、わたしが見たものは、人は死ぬ時、何かを持っていけるわけでも、誰かと一緒にいけるわけでもない。と、いう事でした。
 人が死ぬ時、共にいて、一緒にいって下さるのは、確かに神様だけでした。その時、わたしは、信仰を持ちたい。と思いました。(つづく)
               A.M姉