2018.12.30

『 神の戦いにゆだねる 』(歴代誌下20:13〜19)
 今日の聖書の箇所にはモアブ人、アンモン人などの連合軍がヨシャファトのユダ王国を攻めてきた時のことが記されています。その時、ユダ王と民らは恐れを覚え、神の前に嘆願の祈りをささげます。その時、神を礼拝していたレビ人ヤハジェルに主の霊が臨み、神の約束が語られます。「この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。・・・その時、あなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ。・・・主が共にいる。」(20:15〜17)と。
 わたしたちの神は、神の子どもたちの戦いにおいて、決してわたしたちだけの戦いとして放ってはおかれません。神は神を信頼し神を賛美する子どもたちと共におられる。だからこそ、神は子どもたちだけの戦いにしないで、神の戦いに替えてくださるのです。ユダ王を中心としたユダの人々は、主の聖なる輝きをほめたたえる聖歌隊を中心に、神の御業を賛美し始めます。「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」・・・イスラエルの民は神が今戦ってくださることを期待しての讃美にとどまらず、共におられる神ご自身のゆえ、今まで成し遂げられた御業ゆえの感謝の賛美をささげはじめたところ、神は彼らに驚くべき勝利をプレゼントされたのです。
 2018年の戦いを終え、新しい一年の戦いの旅を始めようとする神の家族の皆さん、わたしたちの日々の生活においては、絶えずこの世の悪しき力と罪からの攻撃に遭ってきましたし、これからも遭うことになるでしょう。日々、熾烈な戦いの中で、時には疲れ、失望し、倒れてしまうかもしれない。その時、わたしたちに出来ることは、この世的な力みと頑張りを捨て、ただその場において神を賛美することです。「この戦いこそわたしの戦いでなく、神ご自身の戦いなのだ!」という信仰をもって、すべてを神の御手にゆだね、賛美をささげるその時、わたしたちの戦いが、神の戦いへとその戦いの内容が変わっていき、神は神の子どもたちに勝利をもたらしてくださるはずです。
 神の家族の皆さんの日々におけるすべての戦いの場が、賛美の場、礼拝の場となりますように・・・。私たちを取り囲む敵へのつぶやきや嘆きの言葉でなく、イスラエルの民のように、「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに。」と賛美の声を上げることができますように・・・。その時に、主が共に戦われ、必ずや勝利をもたらしてくださるのです。