2018.6.10

『 いつどこでも讃美 』 詩編 34:2〜5)
 「いつくしみ深き」、この讃美歌は世界中で、そして日本においても最も愛唱されている讃美歌の一つです。教会では、礼拝をはじめ、祈祷会、葬儀、結婚式などありとあらゆる場において歌われ続けています。それではなぜ、「いつくしみ深き」という讃美歌はこれほどまで愛されているのでしょう。この歌には、救い主なるイエス・キリストが神の子どもたちのためにどのような働きをされ、どのように交わってくださるのかが示されています。
 この歌の作詞者は、ジョセフ・スクライヴェン(1819〜1886)という名の19世紀のアイルランド人です。彼の生涯は、この世的には全く恵まれないものでした。大学卒業後に、結婚式を目前にしてその婚約者を湖の事故で亡くしてしまい、仕事においても破産してしまいます。スクライヴェンはその後アイルランドからカナダに渡り、教鞭を執りながら、不幸な人や貧しい人たちのための奉仕活動にその生涯を献げることになります。彼は、その奉仕活動の中で出会った女性と二度目の婚約をしますが、その彼女も結核を患い、帰らぬ人となるのです。彼は二度に亘る愛する婚約者との死別を経験し大きな悲しみに包まれることになります。もし私たちがこのような状況に置かれたらどのような反応を見せたでしょうか。恐らく神を恨み自分自身は呪われた人生であると嘆いていたに違いありません。しかし、スクライヴェンは、悲劇のただ中にあっても故郷のアイルランドで病に苦しむ母を慰めるために、詩を送ることになりますが、その詩が「いつくしみ深き」という讃美歌だったのです。まさに神を呪いたくなるほどの試練と苦悩を味わいつつも、彼は「悩み苦しむ自分を傍らで励まし、力づけてくれた友なるキリストを母に伝えたい」という思いでこの詩を贈ったのでした。
 そうです。主イエスは、弱い者、苦しむ者、悲しむ者、世の友から捨てられたと感じる者の友となって一緒に歩んでくださるお方です。その約束のしるしとなったのが、「十字架」なのです。この世の罪と全く関係のない聖なる神の独り子が、私たち罪人たちの身代わりとして十字架にかかり命を捨ててくださった。聖書では主イエスの十字架について次のように記しています。    
“彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ53:5)”
 本日のチャペルコンサートを通じて、ぜひ共におられる主イエスと、その方のゆえにいつどこでも讃美できる恵みを知ることのできる皆様でありますように・・・。ハレルヤ!