2018.6.17

『アッバ、父よ』 (ガラテヤ信徒への手紙4:1〜7)
“あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。(ガラテヤ4:6)”
 キリスト教が他の宗教と決定的に違うところは、信じている神との関係ではないかと思います。それこそ、神を「父よ!」と呼ぶことができるということでしょう。神は人を造られた。しかし人を支配するため、操縦するために造ったのではない。むしろ創造者である神と親しく交われる存在として創造されたのです。そのことを詩編8編では、“神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるようにその足もとに置かれました。(6〜7節)”と記しているのです。しかし、人は神の人への御心に反抗し神に背く罪を犯したために、神の御国から追い出され罪と死の奴隷の身分に落ちてしまいます。その後、人類は神とは何の関係もない存在として滅びの道を辿るのですが、神は人の滅びて行くのを喜ばれず、神と人との関係の回復のために神の独り子イエス・キリストをこの世界に贈ってくださったのです。イエス・キリストは十字架にかかり人類の罪の贖いとして死んでくださったことによって、それまで切れていた神と人との間を繋いでくださったのです。  
 神はイエス・キリストを信じる信仰によって、罪の奴隷として死んでいく私たちが神の子となる道を全ての人に開いてくださいました。罪の奴隷から神の子となる身分の変化というのは、天地をも揺るがすような大きな変化です。しかも、使徒パウロは本日の御言葉を通して、私たちはイエス・キリストの十字架の愛によって、神を「アッバ、父よ」と呼ぶことができるようになったと教えます。それだけではない。神は私たちを相続者とし、神の国を相続できるようにしてくださったというのです。
 「アッバ」とはアラム語で、幼い子どもが父親を呼ぶ時に使う「パパ」というとても親近感のある言葉です。聖書の中でこの言葉を好んで使われた方が、イエス・キリストです。主イエスは私たちが神を「アッバ」(パパ)と呼べるほど、その関係を親しいものに変えてくださり、神との親しい親子関係への確証をもたせるために聖霊をあたえてくださったのです。パウロ聖霊の助けがなければ「アッバ、父よ」と叫ぶことができないと教えます。
 今日は父の日です。願わくは、私たちの神に向かって「アッバ、父よ」と声を出して語りかけることのできる神の家族お一人お一人でありますように・・・。わたしたちに与えられたお父さんを愛し、お父さんのご苦労を覚えお祝いする日ですよね。わたしは父の日を迎え、神の家族と共に、真のお父さんである神を黙想し、父なる神と素晴らしい愛で結ばれている恵みの旅を続けたいと願っています。ハレルヤ!